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モンゴメリの時代における女性の役割の変化

graphic of a gramaphone and oval from cover of red scrapbook電話、低価格の蓄音機ビクトローラ、無線通信機、車、飛行機、モーター付トラクター、無声映画と映画撮影、カートリッジ式フィルムのカメラ、カラー写真、ホームムービーカメラ、(大部分の)女性の選挙権、アスピリン。モンゴメリはこれらの登場を目の当たりにしました。ドレスの裾を長くしたり、短くしたり、流行の移り変わりも体験しました。教育期間が長くなり、より多くの人が教育を受けるようになった様子も目にしました。第一次世界大戦をくぐり抜け、第二次世界大戦の勃発も直視しました。彼女の「文化と女性」に対する考えは、こうした時代の流れと共に変化しました。モンゴメリが描く女性像は、細かい点で変化し、より的確になっていきました。アンとエミリーですら、その野心や、ものを書く女性に対する世間の白い目に対する憤りの点で大きく異なっています。

19世紀と20世紀の変わり目には、キャリアを持ち、自立した中流階級の女性も現れました。労働者階級の女性はそれより何十年も前から社会に出て働いていましたが、1900年代初めになっても、一般的に理想とされる特権階級の女性とは、いわゆるビクトリア朝風の女性でした。この理想化された女性の役割と社会的地位を表すのに「家庭の天使」という言葉が使われました。「男は外、女は内」という異なる男女の社会的役割も、よく話題にのぼりました。

第一次世界大戦はこうした女性の世界を根底から変えました。外に出て働き、女性の仕事の価値が徐々に認められ、(一部の白人女性は)選挙権を手に入れ、今までにない経験と自由を味わいました。こうした新たな自由には長続きしなかったものもありますが、多くの変化はそのまま定着しました。

newspaper clipping Topics Worth While 生前、モンゴメリは特権階級の女性に対する伝統的な矛盾を身をもって体験しました。彼女は、女性は家にいるべきで、そのように生まれついたのだと言ながら、自分は作家としての輝かしいキャリアを追い求めました。「赤毛のアン」が出版され、驚くべき成功を収めた2年後の1910年になっても、モンゴメリは選挙権を求めたり、女性の権利のために戦おうとしませんでした。ボストンの新聞記者に「私には選挙権は必要ありません。政治家になりたいとも思っていませんし。女性の居場所は家庭にあると信じています。」と語っています。

newspaper clipping A Place for Warそれから数年後の1915年、モンゴメリは女性の選挙権の重要性について考え直しました。戦争によって、考えが変わったのです。彼女は戦時中の女性の働きを褒めつつ、記者にこう語っています。「この国の男性たちを産み、育てているのは女性です。自分の息子を戦場に送り、殺してしまうような政治問題に対して女性は発言力を持つべきです。戦争を通して人々がこの事実に目を向けるようになれば、と心から願っています。」

モンゴメリは、女性とは清らかで慎み深くあるべきだというビクトリア朝風の家庭で育ちましたが、一般に教育を高く評価し、女性への教育も奨励していたスコットランドの長老派の家風も持ち合わせていました。モンゴメリは、祖母が勉強を手伝ってくれたと話しています。彼女は祖父と、とりわけ祖父の妹で彼女の大叔母にあたるメリー・ローソンから、ストーリーテリングを学び、一族の歴史を教わりました。

牧師の妻と、献身的な母親として伝統的な役割を果たしたにもかかわらず、モンゴメリの人生は当時の女性と比べると典型的とは言えません。彼女は世界的に有名な作家であり、朗読やカナダの文学についての講演依頼が絶えませんでした。当時の一般的な女性とは違って、モンゴメリは自分の収入は自分で管理し、単に夫に渡すことはありませんでした。家族の出費は夫婦2人で分担し、車や息子を私学へ通わせる教育費など、特別な出費やぜいたく品に関しては彼女が支払いました。モンゴメリの経済的な成功のおかげで、スコットランドとイギリスへのハネムーンが実現し、リースクデイルとノーヴァルの牧師館を好きな家具で飾ることもできました。また、引退後に家を購入し、法律と医学を勉強する息子たちの教育費を支払えたのも、彼女の収入があってこそでした。世界恐慌のために財政的に大きな痛手を負いましたが、親戚にお金を貸したり、あげることもできました。

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