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最も古い写真は1824年9月にジョゼフ・ニセフォール・ニエプスによりフランスで撮影されたものです。彼は大きな木の箱をカメラに、またアスファルトでコーティングされた石の板をフィルムとして利用しました。そのカメラを自宅の3階の窓に設置し、アスファルトを丸一日かけて露光しました。それから石板をラベンダーオイルで洗い流し、硬化していないアスファルトを取り除いて残ったものが最初の現代写真となったのです。(ロベルト・クンツィヒ
「ディスカバー」誌、2000年8月号24-27ページをご覧ください。)
1830年代にはフランス人ダゲールにより、ハロゲン化銀結晶と化学現像薬を利用すれば露光時間を1時間半に短縮できることが発見されました。画像は詳細まで鮮明になりましたが、複製は簡単にはできませんでした。
1840年代になって新たな技術と写真撮影システムがいくつか開発、発見されました。なかでも、サー・ジョン・ハーシェルによる第二鉄塩に感光性があるという発見は、非常に有用なものでした。青写真は安価で手軽な上、比較的長い間保存でき、多くのアマチュアやプロの写真家にとっては作るにしても購入するにしても加工紙が容易に手に入るという点が魅力でした。明るい青色を見て嫌がる人もいるかもしれませんが、モンゴメリ自身は青写真を作るのを楽しみ、おそらく何を保存し何を誰かにあげるかを決めるために、初期のフィルムの多くを青写真として印刷したことがお分かりいただけるでしょう。これらを展示したスクラップページでは、モンゴメリが作成した青写真のいくつかをご覧いただけます。彼女が結婚して新婚旅行用にコダックを買ってからは、青写真の姿は消えます。というのも、田舎の牧師夫人、新しい母親、作家として忙しい生活を送っていた彼女には、フィルムを加工して印刷するという昔の趣味を楽しむ余裕がなくなってしまったからです。
モンゴメリは1890年代には4X5カメラのガラス板ネガを利用して青写真を作っています。彼女が使ったガラス乾板は1850年代から1870年代に利用された湿板に変わるものでした。湿板を使ったやり方では感光乳剤をガラス板に塗る必要があり、それが乾く前に急いで撮影しなければなりませんでした。急いで塗布して撮影するこのやり方は、扱いづらく、面倒くさいものでした。1870年代にガラス板がコートされて感光性をもち、乾いたものになりました。それはすぐに使用しない場合にも保管しておくことができ、撮影後もすぐに現像する必要がなくなりました。モンゴメリの多くのガラスネガはゲルフ大学により所有され、保管されています。フィルムと写真作りを彼女が楽しんだ記録が、この展示の写真上にあるデイリー・エコー紙の記事に収められています。
写真業界で最も有名な名前である「コダック」はジョージ・イーストマンにより発明された言葉です。彼は乾板とフィルムを取り扱う会社を所有しており、1888年に簡単に操作できるコダックを市場に送り込むことで、写真業界に革命をもたらしました。コダックという名前は非常に有名になったため、イーストマンは会社法人名を変更し、イーストマン・コダック・カンパニーが誕生しました。コダックのカメラは誰にでも写真が利用できるように設計されていました。会社のスローガンは広告上で流行語になりました。「あなたはシャッターを押すだけ、あとは当社にお任せください」(ビル・ベリエの「1888-1988年:コダック100周年」『フォトグラフィック・カナディアナ』誌1988年1、2月号2-4ページをご覧ください。)イーストマンはアダプタを生産してガラス板カメラでフィルムを使えるようにしただけでなく、持ち運びできるフィルムカメラを作りました。そのカメラには前もってフィルムが装填されており、写真を撮影した後にもコダック社により再びフィルムを装填できました。写真家も自分でフィルムを装填して現像できるようになりました。
彼女は自分でフィルムを現像して青写真を作ることは、1911年に結婚した後はやめたようですが、モンゴメリは生涯にわたって写真を撮り続けました。ゲルフ大学は、モンゴメリが撮ったおよそ2000枚あまりの写真を所有しています。写真家としてのL.M.
モンゴメリをご覧ください。
[1999年「ルーシー・モード・モンゴメリのビジュアル・イマジネーション」展示会で用意された写真に関する背景情報を
提供して頂いたアンドレア・キュナード氏に感謝いたします。]
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