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旅行のイメージ:ボストン

clippings about Lilian Whiting and Basil King国際的に成功した「赤毛のアン」の出版から2年後の1910年、モードは出版者のL.C. ペイジに招かれボストンを訪れました。彼女はペイジ本人に会い、ボストンの文学会を垣間見ることができると喜んでいました。

モードはペイジ夫妻のゲストとして、ブルックリンにある彼らの屋敷に滞在し、夕食や昼食のもてなしを受け、様々な場所に招待されました。モードのボストン滞在中、ちょうどニューイングランド女性記者クラブの25周年記念式典が開かれました。300人以上もの人が参列したこの大規模な式典で、モンゴメリはアメリカのベストセラー作家であり記者であるリリアン・ホワイティングと並んで主催者側の列に立ちました。モンゴメリは日記で、式典はたいくつで、2時間以上も主催者側の列に立って、「アン」の成功に対する参列者からの祝詞に繰り返しお礼を言うことに疲れ果てた、と告白しています(モンゴメリ日記2巻、32p)。会議では(エミリー・ディキンソンと詩について議論した人物として今ではよく知られている)著名な編集者のトーマス W. ヒギンソン大佐と有名な詩人、エラ・ウィーラー・ウィルコックスから送られた支援の手紙が高らかに紹介されました。モンゴメリはPEI出身の有名な作家仲間で、知的な作家として尊敬されている、ベイジル・キングが開いた夕食会でヒギンソン大佐に会う機会がありました。この夕食会についてモンゴメリは次のように語っています。「部屋は有名人たちで溢れていた。その中の1人、トーマス・ウェントワース・ヒギンソン大佐は、大変お年を召していて、ロングフェロー、ホイッティア、エマーソン時代の唯一の生存者と言えるだろう。私自身、周りの著名人にひけをとらなかったと思う。私が帰る時、キング夫人が『今晩の“主役“はあなただったわよ』と言ってくれた。」(モンゴメリ日記2巻、33p)

clipping about LM Montgomery's lawsuit against  the LC Page Cモンゴメリはホーソーンが住んだウェイサイドと旧牧師館(Old Manse)や、ルイザ・メイ・オルコットの家であるオーチャードハウス、そしてエマーソンが詩に詠んだオールドノースブリッジなど、文学に関連する場所を訪れ、その ポストカードや記念品を集めました。当時のほとんどのカナダ人がそうであったように、モンゴメリもアメリカの歴史をよく知っていました。そして、プリンスエドワード島とカナダ南東部沿海州に住む多くの人々が抱いていたボストンへの強い関心を、彼女も共有していたのでしょう。多くの島民と同様に、モンゴメリにはボストンに住み、働いている近い親族がいました。後に、モードとユーアンはボストン近郊のマサチューセッツ州ブレインツリーに住むユーアンの姉妹を訪ねています。そしてボストンはモードがL・C・ペイジ社を相手取った法廷闘争の場となりました。


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