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モンゴメリは第一次世界大戦の戦いの日々に苦しみ、悩んでいました。当時彼女は長老派牧師の妻としてオンタリオ州リースクデイルに住んでおり、教区の人々に慰めと支えを与える立場にありました。この広い教区からも21人の青年が従軍し、その内6人は帰らぬ人となりました(モンゴメリ日記2巻、xv)。モンゴメリは「虹の谷のアン」(1919年)を、リースクデイルから出兵し、「ふるさとの幸せに満ちた谷を侵略者による破壊から守るために最大の犠牲を払ってくれた」青年3人に捧げています。戦争は日常と隣り合わせで、日々の生活に個人レベルで、深い影響を与えました。 モンゴメリは毎日、短い戦況報告を読み、詳細をグローブ紙で確認しました。日記には、数100ページにわたる大規模な軍事作戦の記録がつづられており、戦争が国内の生活に与えた様子が書き込まれています。1914年8月5日のページは「イギリスがドイツに宣戦布告した!何てことだろう!信じられない!これはきっと悪い夢に違いない。まるで雷雲が一瞬にして世界を覆い尽くしたみたいだ」という書き出しで始まります(モンゴメリ日記2巻、150p)。モンゴメリは戦争が長引くものと信じており、戦争とは善と悪との間の死の戦いだ、と他の多くの人々と同様に考えていました。1918年、モンゴメリはドイツがウィルソン大統領の提示した講和条件をのんだ、というニュースを電話で聞き、日記に大文字で次のように書き込みました。「1918年10月6日、日曜日。 これは大文字で、金色で書かかなくては」(モンゴメリ日記2巻、269p)。
モンゴメリは、フランダースやベルダン、ヴィミー、パッシェンデール、マルヌ川での戦闘や、ルシタニア号の沈没とハリファックス大爆発などの事件に対して感じた恐怖や不安を日記に書きとめました。「アンの娘リラ」(1920年)を執筆した時、彼女は日記の記述をそのまま引用し、戦時中の4年間に日常生活で見られた人々の勇気を描きました。この小説は女性から見たカナダの国内戦線を描いた、唯一の戦争小説です。小説と日記を一緒に検討し、これに を加えると、戦時下のカナダの様子が鮮明に見えてきます。 |
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