|
||||||
|
L.M. モンゴメリは「赤毛のアン」が1908年に出版されて以来、世界中で変わらぬ人気を誇っています。モンゴメリの学術的評価は多様に変化し、以前はほとんどが、お情けで読まれたり、無関心であったり、場合によっては敵対的だったのが、近年では積極的な取り組みが見られます。(一般の人々と学者の)2種類の読者が繰り広げる複雑な物語もまた、モンゴメリが21世紀の出版の歴史と世界中の読者に残した足跡の1つです。 L.M. モンゴメリはまず、詩と短編小説をカナダと米国の大衆的な雑誌に掲載し始めました。1900年代初め頃には、モンゴメリは快適に暮らせるだけの原稿料を得ていました。1903年にスコットランドの年下のジャーナリストであるG.B. マクミランと文通を始めた時には、作品の出版に意欲を燃やす作家同士として、有望な雑誌社名やその詳細など数多くの情報をマクミランと交換しました。この頃、モンゴメリは自分の作品は小説よりも詩の方が優れていると考えていましたが、詩であれ、短編小説であれ、編集者に気に入られるように書き、その作風にあった出版先を見つけようと決心しました。もしモンゴメリが雑誌向けの執筆だけを続けていれば、私たちが彼女の作品と出会うことはなかったかもしれません。しかし、彼女は雑誌向けの執筆から時間を割き、長編小説を−編集者の顔色をうかがわず、自分が思う通りに−書き始めました。「赤毛のアン」(1908年)は幅広く多様な読者層を得て、短期間で国際的な成功を収めましたが、これには世界中が、そしてモンゴメリ自身も驚きました。
こうして、「赤毛のアン」とその続編や、その後の作品は一般読者に広く受け入れられました。 モダニズムと戦後の好景気、そして経済恐慌をたどるにつれて、本のマーケティング方法も変化しました。子供が主人公の本は、一般に大人向けの本と分けられ、別々に売り込まれました。モンゴメリの小説の表紙はこうしたマーケティングと作品評価の変化を実によく物語っています。モンゴメリの本は好調に売れつづけましたが、批評家やその意見に影響された読者によってますます少女向けの作品であると見なされるようになりました。 | ||||||
|
進む | ||||||